こんにちは浦野です。
タムケンに借りた本”『おばあちゃんが、ぼけた。』-村瀬孝生”の一節にあった話です。

ぜひ読んでみてもらいたくて、掲載しちゃいました。
この話、皆さんはどう感じますか?

 

  抗(あらが)う

 トメさんは居眠りの最中。手にはお茶の入った湯飲みが握られている。こっくり、こっくり、
と舟をこぐトメさんのからだはじょじょに左へと傾き始める。手に握られた湯飲みも同時に傾き
始める。これはいつもの光景である。トメさんは居眠りしながらお茶をこぼす。

 職員の視線は一気に湯飲みへと集まる。このままだとお茶はこぼれるに違いない。そう判断し
たぼくたちはトメさんの湯飲みを取ろうとした。するとトメさんはパッチリと目を覚まし「何す
るとなぁ~!」と激しく抵抗。「お茶がこぼれそうなんです」。ぼくの声は届かない。もみ合っ
た末、湯飲みのお茶は辺り一面に飛び散って終わった。

 なぜトメさんはぼくたちに抗うのか。お茶がこぼれることを防ごうとしたのだがら感謝されて
もいいじゃないか。でもトメさんは栗の実の弾けるがごとく、いきおいよく腹を立てたのだ。ど
うして?声をかけずに湯飲みを取ろうとしたからかな?居眠りを邪魔されたから?

 そういえば、ほかのお年寄りたちもよく抵抗していたんだ。ときには抵抗にとどまらず暴力を
振るう人もいた。

 「障害」を抱えたお年寄りたちは介護を必要としている。「介護」=「いいこと」と考えがち
だ。それを証拠に「福祉の仕事をしている」とか「老人介護をしている」とか言うと、世間の人
は必ず褒めてくれる。「偉いね~」、「優しいのね」と。だから福祉の仕事をしている人は「い
いこと」をしていると錯覚するんだ。それは怖いことだ。だって「いいこと」は、否定したり疑
ったりすることがないからね。

 さて、トメさんはなぜ、怒ったのか。改めて考えてみた。トメさんは自分で結果を出すことが
できなかった。そのことへの怒りであるように思う。つまり、あのお茶がこぼれるか否かという
予測を立てたのはぼくたちであって、トメさんではない。まだお茶をこぼしていないのに湯飲み
を取り上げられようとした。自分は結果を出していない。なのに他人から結果を予測され先手を
打たれた。トメさんに限らず、「ぼけ」を抱えたお年寄りたちはそのことに抗っているように思
えてならない。また、人の予測に導かれて生きていくことは、自分の存在意識すら見失わせる。

 ぼくたちは、トメさんがお茶をこぼすまで待つことにした。お茶がこぼれるとトメさん大慌て。
そこにタオルを持ってぼくたちが登場。すると「すんまっしぇんなぁ」と言いながら一緒に床を
拭く。彼らの生活において職員の先手を打つ時は「命」や「権利の侵害」に関わるときだけ。そ
れ以外は彼らの出した結果からともに歩む。結果がよければ喜べはいい。悪ければこれからどう
するかを一緒に考える。

 人を大事にする。尊重するってどういうことだろう。その人にとって「いいこと」か、そうで
ないかを判断するにはどうしたらいいのだろう。

 まずは相手の言葉に耳を傾けること。語り合うこと。顔を見ること。「笑っている?」「怒っ
ている?」「泣いている?」「にらんでいる?」「焦っている?」「そわそわしている?」。相
手の言葉や表情から、「自分のしたこと」を考えてみること。自分だったらどうだろうかと考え
ること。「笑うかな?」「怒るかな?」「泣くかな?」ってね。

 今日もトメさんが怒っている。「そこはあなたたち若い者が座るところではありませんよ!上
座ですから!」。翌日、怒られないように下座に座る。するとトメさんまた起こる。「そこはあ
なたたち若い者が座るところではありませんよ!上座ですから」と。日替わりで上座が変わるの
で大変だ。だからぼくたちはトメさんのその日のようすで、座るところを決めることにした。 
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